スターウォーズ/最後のジェダイ どうしてこうなった!?続編映画製作の難しさと製作側の旨味 ※ネタバレ有

2017.12.20 Wednesday

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    JUGEMテーマ:スターウォーズ

     

    スターウォーズ エピソード8「最後のジェダイ」を鑑賞してきました。


    期待に胸を躍らせて公開日にチケットを取り、勇んで劇場に足を運び、始まる前はなぜかちょっと緊張してシートに座りました。

     

    そして152分後…。

     

    映画はエンディングを迎え、エンドロールが流れます。
    アルファベットの青い文字で埋め尽くされたスクリーンを観ながら私は「どうしよう?」という焦燥感でいっぱいになっていました。

     

    それは、このままではスターウォーズがどうなってしまうのかわからないという想いです。鑑賞前の 緊張感はこの心配だったのかもしれません。

     

    私はスターウォーズのファンです。
    ダースベイダーやストームトルーパー、ミレニアム・ファルコン号、ライトセーバー、ジャバ・ザ・ハット、その他のどれもこれも思い入れがあり、ハン・ソロは最もお気に入りのキャラクターです。

    旧三部作はもちろん大好きです。


    前作「フォースの覚醒」は期待以上の作品でした。初のスピンオフ作品となった「ローグ・ワン」が描いた名もなき一兵士たちの切ない物語も素晴らしかった。
    新三部作が賛否両論なのもよくわかります。

     

    そんな私は大ファンではありますがマニアではないつもりです。

    多少のことで必要以上に作品をけなしたり、知ったかぶりをするつもりはありません。それはたとえハン・ソロがいなくなっても変わりません。

     

    さて今回の「最後のジェダイ」は三部作の二作目ということで、前作「フォースの覚醒」の設定やストーリーを引き継いだ上でストーリーを盛り上げ、観客をハラハラさせて、一応の決着を見せ終えながら次の完結編につなげるという至難の業に挑まざるを得ない。


    脚本上では三部作の真ん中は最も難儀な前提条件の上での製作なのは間違いありません。


    映画史上を振り返ると続編が駄作に終わった作品がほとんどです。
    もちろんいくつかの映画の中には前作を凌いだ名作もあります。

     

    たとえば「ターミネーター2」は一作目も素晴らしいですが二作目はそれを大きく上回る出来でした。3以降はかなり酷いですが。

     

    クリストファー・ノーラン監督の「バットマン」も二作目の「ダークナイト」が素晴らしかった。三作目の「ダークナイトライジング」はやる気をなくしたのかってくらい雑な作りでしたが。


    サム・ライミ監督の「スパイダーマン」も二作目でしっかりテーマを描き切っていました。


    では、なぜこれらの映画が前作を凌ぐ作品になり得たか?

     

    スターウォーズ「最後のジェダイ」は非常に困難な中での作品作りだったことを想像しながらも私としては受け容れがたい部分がありました。

     

    私が感じたスターウォーズ「最後のジェダイ」の「犯した過ち」を4つの観点とその原因から見ていきたいと思います。

     

    .ャラクター描写の不足

    不要なコミカルタッチ

    J慷すぎるフォース

    い修發修盖嗚椶甘い

    イ匹Δ靴討海Δ覆辰燭里?

     

    以下、ネタバレを含みます。

     

    .ャラクター描写の不足
    「最後のジェダイ」(以下、本作)ではキャラクターの描き方が非常に希薄でした。例えばチューバッカやC-3PO、R2-D2、果てはミレニアム・ファルコン号といった物にもそれらが不足していました。


    続編で成功する第一歩は前提をもう一度やり直すことです。

     

    前作のヒットがあればこそ続編が製作され、観客の大部分も前作を観ているわけです。製作陣は前作の面白いところ、キャラの立っている部分を利用して続編に臨むわけですが、ここで再度、前提を構築し直さなければならない。


    それがどういうことか「ターミネーター2」を例にしてみましょう。
    アーノルド・シュワルツェネッガー演じるターミネーターは一作目では人類を滅ぼすため(具体的にはサラ・コナーの暗殺をするため)に未来からやってきます。二作目で今度は人類を救う(ジョン・コナーを守る)という新たな役割を与えられてやってきます。サラ・コナーは一作目では非力な一般の女性ですが二作目では精神病院に入院しています。未来の崩壊を見据え自分を見失っていない強い女性として描かれています。


    製作陣は第一作のターミネーターからこの二人のキャラクターを大きく設定し直すことによってキャラクターの魅力を引き出しています。


    設定を変えずにキャラクターを立てている例として「スパイダーマン」は「大いなる力には責任が伴う」というテーマを踏襲してキャラクターの苦悩を描き直しています。

     

    本作で製作陣はキャラクターの再構築=描写を疎かにしました。


    チューイはただの毛むくじゃらで怪力のモンスターとしてしか描かれていません。かつてハン・ソロとともに同盟軍のたった二人の友軍としてミレニアム・ファルコン号=宇宙最速のガラクタを駆ってデススターを沈めた。そういう旨味を出していないわけです。


    C-3POは、ただいるだけで多少おしゃべりだというだけです。


    R2-D2も登場はしますがその個性を表すような描写は薄く役割としては単なる映写機で終わっています。


    ルーク・スカイウォーカーに至ってはそのパーソナリティも変わってしまいコミカルさを出させられています。レイにフォースを伝授するシーンではおふざけが入り、物語の終盤、集中砲火を浴びた後、これ見よがしに肩を払うシーンなどはパロディ映画かと想わせるほどにチープな演出でした。

    ルークを演じるマーク・ハミルは自身の役の描き方に違和感があり監督と話したとのことですが、それはそうでしょう。


    ライトセーバーは冒頭でルークによって放り投げられてしまうのですが、そんなことをルークがするでしょうか?


    では新しいキャラクターたちはどうでしょう。


    唯一、気を吐いたのがポーでしょう。

    パイロットとしての腕はあるが向こう見ずで無鉄砲、後先考えずに突っ込んでいく性格はよく出ていました。終盤、ポーがルークの意図を汲んで逃げることを言い出します。ちょっと描き方は弱いですがレイアが成長した彼の姿をすでにリーダーとして認めるシーンがあります。


    なぜポーはキャラクターが立ったのか?


    それは葛藤が一番多かったからだと思います。船内で揉め、そして成長する。映画の登場人物の王道です。


    レイはどうでしょうか?
    公開前の私の予想では、彼女はルークの娘で母親はキャプテンファズマだと思っていたのですが、全く違いましたね。
    しかし、あの方陣のような場所に座っていきなりフォースらしき物を感じるシーンはあまりにも唐突でした。

    大した修行もせずカイロ・レンと渡り合うあたりも雑でしたね。すでに銀河クラスの強さです。


    キャラクターという意味ではジェダイの島に住むポーグはかわいさを前面に出していかにもディズニーランドのショップに並べたいディズニーの意図が見え、あざとさに辟易しました。


    フィンとローズも人種的なバランスを取って市場を開拓しようというのが見えすぎました。黒人とアジア人、唐突なラブストーリーに私は置いてけぼりでした。


    ローズの姉が冒頭壮絶な最期を遂げますが、その前に一瞬でもローズとの姉妹の絡みがあれば感情移入もしやすかったと思うのですが、脚本作りにちょっと不備が多いですね。

     

    それから彼女を指してローズではなくて、ロースだという人がいましたが明らかにアジア人をそういった目で見ているハリウッドの映画界の白人至上主義的な人種差別を感じました。

     

    とにもかくにもキャラクターが多すぎて描写が薄まってしまいました。


    思い返してみるとキャラクターたちはバラバラにしか出てこず、いかにも分担してチームごとに撮影した感じが現れています。予算はあるでしょうから製作日数が少なすぎるんでしょう。

     

    不要なコミカルタッチ
    私はスターウォーズは重々しくなければならない、などとは露ほども考えていません。

    面白いシーンがあれば笑いたいし、気の利いたジョークならどんどん使ってほしい。しかしそれらはキャラクターのパーソナリティに則った形で出てくるべきで、コミカルありきではありません


    上にも書きましたが、ルークがレイにフォースを教えるシーンで枝を使ったおふざけシーンではレイはともかくルークのキャラには全くない演出です。

    劇場では笑いが起きていましたが私はルークにあれをやらせる意図がまったくわかりませんでした。


    またこれもルークですが、ライトセーバーを放り投げるところも意図的にコミカルさを出していましたが、前作のラストが感動的だっただけに肩透かし感が酷かった。ルークがライトセーバーをあんな風に扱いますかね?

     

    J慷すぎるフォース
    フォースというものの描かれ方はすごい力ではあるもののあんまり器用なことはできない、というイメージではないでしょうか?
    近い将来のイメージが現れたり、親しい者の生命の危機を感じ取るとか。これだけでもかなりマジカルですが、本作では万能の魔法としてフォースは描かれています。


    劇中、もっとも呆気にとられたのがルークの遠隔操縦です。


    ジェダイ寺院から遠く離れたレジスタンスの基地にルークはフォースの力で自分の分身というか幻を送り込むのですがあんなことができるなら、なんでもアリです。
    スノークーの枕元にでも現れてやればいいんです。


    レイがいきなり大量の岩をフォースで動かすシーンもレイのあっさり強くなる感と相まってフォース万能感がありすぎて、ハリーポッターかと思いました。


    宇宙空間に放り出されたレイアがフォースでクルーザーに戻るシーンも酷かった。


    また、霊体となったヨーダが雷を落とす力を発揮するところ、あれもあんなことができるならとっととファーストオーダーを倒してこいと言いたい。霊体はあくまで霊体で生きている者に助言や示唆を与える程度であった前提を壊してなんでもアリにしてしまった本作の罪は重い。


    レイとカイロ・レンの交信も具体的すぎる。

    旧三部作でのベイダーとルークでさえなんとなく近くにいる程度しかお互いを感応できなかったのに、レンとレイは小屋の中で手が触れ合ってましたからね。


    監督はフォースを魔法あるいはスマホかなにかと勘違いしてるんじゃないでしょうか?


    い修發修盖嗚椶甘い
    本作はもっと面白く、ドラマティックにできたはずです。

     

    なんといっても伝説のジェダイであるルーク・スカイウォーカーが死ぬわけですからそれだけでも劇的な見せ方ができたはずです。

     

    それなのに遠隔操縦の上に身体が浮遊して、力尽きて死んでしまうのを見て「えっ!これで終わり?」と思った人は大勢いたんじゃないでしょうか。

     

    フィンとローズがカジノに乗り込むシークエンスもいかにも後から突っ込んだ感じです。ディズニーの重役に「セットピースを増やしてくれ」とでも言われたのでしょう。


    そしてある意味一番質の悪い武器商人たちはなんら罰を受けることなく物語は終わってしまいます。

     

    ポーが反乱を起こして皆を救おうとして奮闘し、しかしレイアに倒されて真実を知るシーンももっとホルドのことを取り上げ盛り上げることができた様に思います。

     

    冒頭のレジスタンスによる爆撃シーンも宇宙空間なのにドアの開いた船内に空気があったり、無重力なのに爆弾がズラララッと「落ちて」いくし。

     

    なにからなにまでリアルにする必要はないですが、フィクションとリアルのバランスをもっときちんと見せてほしかったです。考証的にもちょっと酷い。

     

    イ覆爾海Δ覆辰討靴泙辰燭里?
    くりかえしになりますが私はスターウォーズが大好きです。


    本作に関してケチョンケチョンに言っているわけですが、新作を観られる喜びは噛みしめておリます。

     

    しかし、それでもやはり本作は酷評せざるを得ない。

     

    ではなぜそうなったのか?


    キーワードはハリソン・フォードだと思います。

    前作「フォースの覚醒」はこうしてみると良くできていたのだと本作と比べて改めて思います。前作の公開までは正直、J.J.エイブラムスが監督をやると聞いて妙なことになるんじゃないかなと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。

     

    ハリソン・フォードはスターウォーズの出演陣の中では間違いなく最も成功したスターです。

    そのハリソン・フォードは「フォースの覚醒」の出演オファーを受けたときにこう言ったといいます。

     

    「ジャー・ジャーは出すなよ」

     

    ジャー・ジャーとは新三部作に出てくるジャー・ジャー・ビンクスのことです。カタツムリが二足歩行しているような生物で、役割としては活動的なC-3POというところでしょうか。


    よくしゃべるコミカルな役柄で、新三部作がアナキンがベイダーになってしまう暗さを中和しようとして思いっきり明るい方に振ったのがジャー・ジャーです。
    料理に例えるとベイダーの塩味がしょっぱすぎたのでジャー・ジャーという砂糖をぶち込んだ感じで料理全体としては大味で訳がわからないばらばら感がありました。ジャー・ジャーがとにかくうるさくて、うっとうしいんですね。

     

    そしてこのキャラクターは出すなよとハリソン・フォードは言ったわけです。

     

    この発言はジョークの一種だと思いますが、ハリソンはジャ−・ジャ−そのものを指したわけではなくて、スターウォーズという作品に対して間違ったことはするなよ、と言ったのだと思います。それは脚本、監督、そしてディズニーに対しての発言だったのでしょう。

     

    「フォースの覚醒」を作るに当たり、ハン・ソロ抜きでの製作はあり得ない。

     

    なおかつハリソン・フォードのキャリアからすればスターウォーズのオファーが気に入らなければそれを蹴ることもできる。

    そこで前作はハン・ソロを前面に出してルークやレイア、レイ達、新キャラクターとのバランスを取った。結果として旧三部作のテイストが残った作品となり、ファンも溜飲?が下がった。

     

    そういった点から本作を振り返ると旧三部作のキャラクター達は皆リストラ対象です。上に挙げたように、非常に扱いが雑でなんとか、新キャラクターにスポットを当てようとしています。


    そのこと自体は当然なことです。新しい作品を作っているのですから。


    しかし、もともとのキャラクターや世界観、設定をいじくってしまってはそれはまったく別物の映画になってしまいます。


    本作を別のタイトルの映画として作ったなら私は人に勧めますが、スターウォーズとして見た場合にはとても勧められません。

     

    本作は一言で言えば旧三部作との決別でしょう。

     

    スターウォーズをディズニーが買ったというニュースを聞いたときに頭をよぎった懸念がここに来て現れた気がします。


    おそらく旧三部作のキャラクター達と新作のキャラクターではディズニーの取り分が違うのでしょう。身も蓋もない言い方をすれば、新キャラを売った方がディズニーは儲かるのではないでしょうか。具体的に言えばポーグを早くディズニーランドのショップで売り出したいわけです。

     

    そんなディズニーの思惑が透けて見える気がします。

     

    次回作ではレイアとC-3PO、R2-D2の役割はさらに減るでしょう。

     

    ディズニーのものになったスターウォーズはサイエンス・フィクション(SF)からサイエンス・ファンタジーになってしまいました。
    わたしのスターウォーズは終わりました。

    そしてそれは仕方のないことでスターウォーズは新しい世代のものになった。


    しかしそれでもなんだかんだでスピンオフや次回作も観に行くのは間違いない自分がちょっと悲しいです。

     

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